収束するが崩壊してくる
あまりにも急激に頭を使っているせいか、収束するの感覚が崩壊してくる。
正確には、わかっていたと思っていたことが厳密にはわかっていなかったことがわかったせいで、わかっていたことがわかったことにならないんではないかとわかってしまったことに、その一端は起因するけど、まあ、わかってなかったことは些細なことだったから結果的に全体を補うことはあっても間違ってるわけではなかったことが幸いだった。
しかし、改めてやり直すと思っていたほど難しくなかった。どの内容も30分も考えれば理解できる内容で、大学生の当初はよほど勉強がしたくなかったと見える。もちろん当時から考えれば相当に年も重ねているわけで、一概に当時でも簡単だったと言えるわけではないけれど。
今使っているテキストがネットに転がってるものだから、練習問題等の解答がないことが唯一の不満だけど、最悪検索で答えを調べることができるのは便利だ。
知恵袋などを見ると、同じことを疑問に思う人はたくさんいるんだなと思った。
加えて、勉学において大事なことってのは理解することなんだけど、これが理解したつもりになっているだけの状態で終わっているという学生が多い。これが多くの学生の数学ができない要因にもなっていると思う。
特に中高生は、数学の解答や説明を見てわかった気になっているせいで、自分が本当はできないことを結果的に直視できていないことが多い。
私個人の感覚から言わせてもらえれば、実践してできなければわかったとは言えない。
これを実践せずにわかったつもりで終わらせる生徒が多いせいで、また、数学は以前の内容をこれでもかと使う「積み重ね学習」である点からしても、そういった要因が結果的に数学ができないという負のスパイラルに陥らせてしまう。
まあ、こんなところに書いたところでという話ではあるけれど。
さて、話を少しだけ戻そう。
頭を使うと疲れるわけだけど、昔っから数学ばっかりやっていた人間からすると、この感じが程よいようにも思える。昔の感覚を懐かしみながら、進めていければ自分にとっては十分なものになりそう。
頭使いすぎてよくわからなくなったらまた気分転換でもしよう。
ε-N論法
ε-N論法というのは説明の仕方を理解するということでいいのだろうか。
数列{an}の極限がαであることの説明として使われている論じ方という感じ。
三段論法みたいなものの一種と考えればいいのだろうか。(三段論法とか知識のなさが露呈してるけど)
極限がある値だと考えられるときに、我々が普通に得られる少しあやふやな感覚を、無限の彼方だとわかりにくいから、ごく身近な0付近で話をまとめている。
そんな印象。
εに対応するNより大きいnの範囲で、誤差がε以下だと言えれば、それが極限なんじゃないかという話なのかな。それが定量的に示すことができる、みたいな。
第一印象としてはεを絞っていくとNがどんどん大きな値になっていくイメージ。
発散のほうが理解しにくい。納得がうまくいかない。
説明をいろいろと読んでみると、後だしじゃんけんのようなイメージもある。
εを選んだら、n≧Nで対応するみたいな。
それだったら発散のほうは理解できる。
―――――ここまで書いてしばらく悩んだ―――――
きちんと考えれば発散も似たように理解できた。
個人的には、
「あるεに対応するNを丁寧に設定し、n≧Nである任意のnで、anとαの差がεより小さくなることが確認できるならば、数列は収束し、その値が極限と認められる」
こんな印象。言葉にするのは難しいな。やたら難しい定義だなと思ってたけど、言葉にするとどうしても難しくなるもんなんだな。
つまり、εを限りなく0に近い小さな値にしていくことで、差も限りなく0に近くなることが確認できれば、それが極限でしょってことだね。
となると、説明のときに一番大事なのはNをセッティングするところになるよね。こいつをうまく設定しないと差がεより小さくなることをうまく説明できなくて、結果説明できないってなりそうだ。まあ、そこが大事なのは極限だけかもしれないけどね。
しかし、やっぱり説明の仕方という印象が強い。
この説明の仕方がありなら、他の部分にもいろいろと応用できそうな気がしないでもないけど、それは時間のあるときに考えることにしよう。
このブログ、話が行ったり来たりして、たまたま目を通した人には意味不明な感じになってそうだ。
このブログの説明
このブログは、高校数学くらいしかできないある男が、昨今解決した問題を理解するまでを綴ったブログです。(予定)
スタートは大学1年生レベルからです。
なお、大学の数学の知識はほとんど入ってません。ε-δ論法というものがあるっていうのを知ってる程度です。なんでだいたいその辺から。高校までの数学は全部入ってます。(たぶん)
最初の流れは、微積やって解析学やるのがいいのかなと思うので、暫定的にそこまではその感じで。
それ以降はいろんな人に話を聞いて何をやるか決めます。
よろしくお願いします。
ブログにはわからないところを書いたり、わかった感覚を残したりだとか、そんな風に使う予定です。主に自分が確認するためのものになるかもしれないですが、誰かに教えを乞うときにもあったほうがわかりやすいかと思ったので。
まー、数学を理解するための一つの道具って認識です。